若者のタイパ文化から考える情報消費の変化
倍速再生は悪なのか?情報過多時代の生存戦略
若者のタイパ文化
最近「タイパ」という言葉をよく耳にする。タイムパフォーマンスの略で、時間あたりの効率を上げるという意味だ。具体的には映画を1.5倍や2倍速で視聴したり、YouTubeのショート動画やTikTokのような短時間で消費できるコンテンツを好む傾向を指す。
この現象、単なる「若者の忍耐力の低下」として片付けられがちだが、もう少し深く考えてみたい。
情報過多時代の生存戦略
これは完全に僕の主観なんだが、インターネットによって情報が溢れかえっている現代では、効率的な情報収集が必須になってきている。テキストだけじゃなく、映画、ドラマ、アニメなどの映像コンテンツも爆発的に増えている。
例えば2時間の映画を10本見ようと思ったら、単純計算で20時間かかる。でも事前にレビューや口コミを精査すれば、その中から自分好みの映画が2〜3本程度だとわかるかもしれない。情報収集に1時間使ったとしても、合計3〜4時間で済む。最初の20時間と比べれば圧倒的な時間短縮だ。
ただし、このレビューや口コミが信頼できるかどうか、アフィリエイト目的の誘導ではないかを見極めるスキルは、インターネットに長く触れてきた人間でないと難しい。そのスキルがない人は17時間程度の無駄な時間を過ごすことになる。
報酬の変化
ここで重要なのは、コンテンツを消費する際の「報酬」の変化だ。
従来、映画やドラマを見る報酬は「感情を揺さぶられる体験」や「満足感」だった。でも倍速で見る若者たちの報酬は違う。彼らにとっての報酬は「見たという事実」「知ったという事実」であり、それによって他者との会話に参加したり、同調したり、時にはマウントを取ったりすることが目的になっている。
この報酬の違いが、倍速視聴に対する世代間のギャップを生んでいる。通常速度で見る人はセリフの間や自分の感情を整理する時間も大事にするが、「見たという事実」を報酬とする人にとって、そういった間や感情整理の時間は不要なんだ。
良い悪いの判断は必要か
こういった現象に対して「良い」「悪い」の判断を下すべきなのだろうか。
個人的には、そもそもの報酬が異なっているという事実に向き合うべきであって、どちらが良いとか悪いとかは別にどっちでもいいというのが結論だ。
例えば映画監督が「これは映画館で見てほしい」と言ったとしても、映画館に行けなくてテレビやサブスクで見ることが悪なのかというと、それはまた別の話だ。良い悪いではなく、見ることができなかった人を責める人はごく少数だろう。倍速視聴も似たような論点ではないかと思う。
情報リテラシーの重要性
ただ一つ言えるのは、情報過多時代において、情報リテラシーの重要性は増している。どの情報が自分にとって価値があるのか、どのように効率的に情報を取捨選択するのか、そのスキルが今後ますます求められるだろう。
僕自身は映画やアニメを倍速で見ることはないが、情報の取捨選択は別の方法で行っている。例えば事前にレビューを確認したり、信頼できる人からの推薦を重視したりすることで、自分に合った作品を選んでいる。これも一種の情報リテラシーだと思う。
まとめ
タイパ文化は単なる「若者の忍耐力の低下」ではなく、情報過多時代における一つの適応戦略と見ることもできる。報酬の形が変わり、情報の消費方法も変化している。
良い悪いの判断よりも、それぞれのコンテンツに合った消費方法を選択できる情報リテラシーを身につけることが大切なんじゃないかな。そして何より、自分が何を求めてそのコンテンツを消費しているのかを自覚することが重要だと思う。
倍速で見ようが通常速度で見ようが、最終的には個人の自由だし、その人が満足できればそれでいいんじゃないかな。ただ、作り手の意図を完全に無視するのもどうかと思うので、その辺のバランス感覚も大事かもしれない。
まぁ、結局のところ時代とともに情報の消費方法も変わっていくものだし、今後も新しい「タイパ」の形が出てくるんだろうな。それに対応していくのも、現代人の宿命かもしれない。